5月11日 月次祭 女子青年朝席感話
109 ようしようし
ある時、飯降よしゑ(註、後の永尾よしゑ)が、
「ちよとはなし、と、よろづよの終りに、何(な)んで、ようし、ようしと言うのですか。」と、伺うと、教祖は、
「ちよとはなし、と、よろづよの仕舞(しまい)に、ようし、ようしと言うが、これは、どうでも言わなならん。
ようし、ようしに、悪い事はないやろ。」
と、お聞かせ下された。
今回のこの逸話篇を読ませていただき、第2節のおつとめ、よろづよ八首を勉強させていただきました。
人間創造、立教の宣言、どちらも元になるお話しであります。
私はこちらに入り込ませていただき、毎日おつとめをさせて頂いていますが、こうしてしっかり親神様の思いをと、おつとめに心を込めることが足りなかったと反省し、必死に読めば読むほど、なんでもよしよし、悪いことはないと親心溢れるお言葉に、胸がいっぱいになりました。
現在、新型コロナウィルスの感染拡大から、緊急事態宣言が出され、今まで当たり前と思っていた教会行事、会活動、にをいがけが出来ない毎日に、入り込ませていただいていなかったらと考えると、本当にありがたく、守っていただいていると感じます。しかし最近の自分自信を振り返ると、どこか勇めず、澄みし心で通れない日々でした。何故だろう、どうしたらいいのだろうと、なかなか切り替えられず、理をいただくこともせず、もがいていたときに、この逸話篇に出会い、こう勇めないのは、元が分かっていないからだ、と感じ、母親がたすけていただいた元を知ろうと、動いてみました。そして、入り込ませていただくことを決心した当時の自分を振り返ってみると、現状を喜べず、こうだったら、と考えてしまう自分の癖性分に、会長様よりお話しいただいた、
一、成ってくる理を受け入れましょう
一、成らん理をたんのうし、感謝・喜びに変えましょう
一、澄みし心でおたすけの行動を起こしましょう
この心が足りないだけだと素直に思いました。
親神様の懐住まいで抱えていただき、信仰のおかげで、どんな苦労の中でも親神様の温かい親心を感じて通らせて頂けるのだと思わせていただきました。
一つ前の逸話篇、※108 登る道は幾筋も、にもありますが、お道を通る人もそうでない人も、陽気暮らしに向かうことを親神様はお待ち望み下され、その道中はどんな道でも、この新型コロナウイルスの事情から、たすけあうこと、感謝することの大切さを感じている世の中に、陽気暮らしに向かう心を感じ、親神様がようしようしと言ってくださるのではないかと感じました。
今こそ、勇んでかかれと親心いっぱいに言ってくださっている親の声に素直に、喜んで、澄みし心で実のたすけの実行を少しずつ積み重ねていきたいと思います。ありがとうございました。
※108 登る道は幾筋(いくすじ)も
今川清次郎(いまがわせいじろう)は、長年胃を病んでいた。法華(ほっけ)を熱心に信仰し、家に僧侶を請(しょう)じ、自分もまたいつも祈祷(きとう)していた。
が、それによって、人の病気は救かることはあっても、自分の胃病は少しも治らなかった。
そんなある日、近所の竹屋のお内儀(かみ)から、「お宅は法華に凝(こ)っているから、話は聞かれないやろうけれども、
結構な神様がありますのや。」と、言われたので、「どういうお話か、一度聞かしてもらおう。」
ということになり、お願いしたところ、お道の話を聞かして頂き、三日三夜(みっかみよさ)のお願いで、三十年来の胃病をすっきり御守護頂いた。明治十五年頃のことである。
それで、寺はすっきり断って、一条(ひとすじ)にこの道を信心させて頂こうと、心を定め、名前も聖次郎と改めた。
こうして、おぢばへ帰らせて頂き、教祖にお目通りさせて頂いた時、教祖は、
「あんた、富士山を知っていますか。頂上は一つやけれども、登る道は幾筋もありますで。
どの道通って来るのも同じやで。」
と、結構なお言葉を頂き、温かい親心に感激した。
次に、教祖は、
「あんた方、大阪から来なはったか。」
と、仰せになり、
「大阪というところは、火事のよくいくところだすなあ。しかし、何(な)んぼ火が燃えて来ても、ここまで来ても、
ここで止まるということがありますで。何(な)んで止まるかと言うたら、風が変わりますのや。風が変わるから、
火が止まりますのや。」
と、御自分の指で線を引いて、お話し下された。
後に、明治二十三年九月五日(陰暦七月二十一日)新町大火(しんまちたいか)の時、立売堀(いたちぼり)の真明組(しんめいぐみ)講社事務所にも
猛火が迫って来たが、井筒講元以下一同が、熱誠(ねっせい)こめてお願い勤めをしていたところ、裏の板塀が焼け落ちるのをさかいに、突然風向きが変わり、真明組事務所だけが完全に焼け残った。
聖次郎は、この時、教祖からお聞かせ頂いたお言葉を、感銘深く思い出したのであった。
0コメント